古民家のたのしみ・その2
この資料館には古民家の展示に加えて、江戸時代の会津の宿場町の様子なども説明されています。面白いなぁーーーと思ったのが、当時の荷を運ぶ方法です。当時の全国の宿場には正式に登録された馬方が何人も居り、荷物は宿から宿へのリレー方式で運ばれていったそう(馬継方式)なのですが、ここ会津西街道だけは別の方式も存在していたそうです。 それは自分の所有する馬6頭以内なら、自由に荷物を引き受けて運ぶことが出来たそうです。これを中付駑者(なかつけどしゃ)と呼び、宿場ごとの馬の交換が無いため荷の痛みが少なく時間もかからないことから大変人気だったそうです。 |
ちょうど現代の○○ネコヤマトと郵便局のようですね。私は実家のある関西・息子と暮らす千葉・おとーさんの居る郡山を動くことが多いのですが、その時によく宅配便を使います。いつもどこの会社を使うとかは決めていないのですが、私の体験からだけ言いますと「やっぱりヤマト運輸の宅急便が一番早く、正確だなぁーー」と思うことが多い。クロ○○の場合大体午後4時ごろまでにコンビニエンスに持っていくと、確実に翌日には家に着いています。これがゆ○パックだとなかなかそうはいきません。 |
今回も郡山から週末に帰るおとーさんの荷物と私の荷物、ふたつを一緒に同時に同じコンビニに持ち込みました。そこではゆ○パックしか扱っていなかったのですが、案の定翌日ちゃんと千葉の家に着いたのは一個だけ。なぜ一緒に持ってこなかったのか?荷物の大きさが違うから?よくわかりませんが。江戸時代も馬方たちと中付駑者の争いは絶えなかったそうで、1755年に双方が話し合って中付業者の扱う品目などが細かく規定されたという文献が残っています。ヤマト運輸とローソンの訴訟問題は記憶に新しいところですが、昔も今も「お客さまのことを一番に考える商売が強い」ことは確かで、江戸時代も最終的には馬継方式は廃れたそうです。さて現代の陸運は、どちらに軍配があがりますことやら。 |
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| 「染屋」の建物もびっくりしたのですが、この「三匹の子豚」に出てきそうな粗末な藁葺きの小屋、何のためのものかおわかりですか?実はこれは木の椀・盆などを作る職人(木地師)の作業場で「木地小屋」と呼ばれています。 |
中には作業途中のお椀の原型?が大量に積み上げられていました。普段何気なく使っている食器が、こうやってできるのだと思うとなかなか興味深いです。![]() 元来木地師とはトチ・ブナ・ケヤキ等の木を伐り、それから椀形をとり、それを椀・盆その他日常雑器に仕立てる人たちの総称で、彼らは身近にそういう木材がなくなると移動して行ったらしいです。それ故木地小屋はこんなに簡単な作りになっているのか?はよく判りませんでしたが・・・・ |
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| この奧会津民俗資料館の古民家にも、やっぱり大根が干してあってほほえましかったのですが、その隣にある新聞紙に包んだものは何でしょうねぇ?凍りどうふかな?と思ったのですが。 |
資料館のお隣は「会津山村道場」になっています。昭和12年に開かれ、当初は農業経営や技術を教え、若い農業後継者を育てるために全国に41か所ほど設置されていたそうですが、だんだんと様変わりを余儀なくされていきます。今ではその建築遺構が現存しているものはほとんどないらしいですが、ここ奧会津の道場は非常に良いコンディションで残っています。 |
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| 内部には入れなかったのですが、まるで宮沢賢治の時代の学校です。今にもひょこっと物陰から、賢治先生が堀りたての大根を抱えて現れそうです。敷地内にはコテージなどもたくさん建てられていますので、福島県内外の学校の夏の合宿などには最適ですネ。 私は大学時代「能楽研究部」に所属していたのですが、能や仕舞を練習するためには8畳程度の空いた部屋が少なくとも4・5個必要なので、なかなか合宿の場所が見つかりませんでした(そういう意味でいつも高野山のお寺を選ぶことが多かったです)。ここなら思い切って練習できそうですね♪ |
雪のほとんど降らない瀬戸内地方に生まれ育って、今は暖かい千葉の都市部に暮らしていて、雪のある暮らしをほとんどしたことがありません。たまにこういうところに来ると、とってもおどろくことがあります。今回は道端を流れる水路にびっくり、こんなに雪が積もっていると埋もれてしまうんですネ・・・・これは下に水路があると気が付かないで踏み抜いてしまうこともあるでしょうねぇ・・・お気づきになったかとも思いますが、このブログのプロフィールの写真をご覧下さい。おとーさんと私が道の端に開いている穴を見てびっくりしています。雪国ではこんなこと日常茶飯事なんでしょうけどねぇ。 |
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| 楽しかった奧会津民俗資料館も、だんだん日が傾いてきました。早く湯野上温泉へ行かないと道路が凍結し始めてしまう・・・・ということで名残惜しいけど会津田島の町を後にしました。 この田島の町には他にいっぱい行きたいところがあります。ネットで調べると、古民家を改造して自宅に建て替え、都会から移り住んでいるかたもいっぱいいらっしゃいますね。私はときどきDASH村を見てるだけですが・・・・次はぜひ夏に訪れてみたいです。 次回はもっと標高の高い場所へ行って見ます。今年最後?大量の雪とそして同じ日本とはとても思えない、素敵な外国?へみなさんをご案内いたします♪ |
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| 民俗資料館に置いてあったスノーシュー、TAKEさんのブログで前に見かけていて「あっ、かんじき!」と思ったのですが(笑)、今ではこんなにハイカラな器具があるのですね~きっと資料館の職員さんが使うのだろうなぁーーーーと思いました。 ちょっと履いて見たかった、でもきっと次の日は筋肉痛で大変なことに!(^_^;) |
この資料館には古民家の展示に加えて、江戸時代の会津の宿場町の様子なども説明されています。
ちょうど現代の○○ネコヤマトと郵便局のようですね。
今回も郡山から週末に帰るおとーさんの荷物と私の荷物、ふたつを一緒に同時に同じコンビニに持ち込みました。そこではゆ○パックしか扱っていなかったのですが、案の定翌日ちゃんと千葉の家に着いたのは一個だけ。なぜ一緒に持ってこなかったのか?荷物の大きさが違うから?よくわかりませんが。
中には作業途中のお椀の原型?が大量に積み上げられていました。普段何気なく使っている食器が、こうやってできるのだと思うとなかなか興味深いです。


雪のほとんど降らない瀬戸内地方に生まれ育って、今は暖かい千葉の都市部に暮らしていて、雪のある暮らしをほとんどしたことがありません。たまにこういうところに来ると、とってもおどろくことがあります。


ここ南会津町は2006年(平成18年)3月20日 - 田島町・舘岩村・伊南村・南郷村が合併して出来たすごく新しい町です。中心は会津鉄道の通る会津田島の町。すぐそばには「尾瀬」で有名な檜枝岐村もあります。私はこの辺りの景色が大好きです。
これは猪股家住宅、典型的な会津の農民の住宅です。







こちらは「お茶請けに」と持ってきてくださった、風呂吹き大根と蕗の煮物。美味しい(*^_^*)
正之にとって少年・青春時代を過ごした高遠の産物は「おふくろの味」、会津にも色々なものを持ち込んでいるのですが、代表的なものが蕎麦(正之は大の蕎麦好きだったらしい)、そして辛み大根(ちなみに会津ではこの大根は「タカド(=高遠)」と呼ばれています)です。
私たちがまるで親戚の家に来た様に、炉辺でくつろいで喰ったりしゃべったりしていますと、奧からおかみさんの孫?らしきお嬢ちゃんが・・・・「誰だろう?」っていう好奇心満々の顔つきですよね。「こっちおいで」と呼びかけたら、恥ずかしそうに逃げちゃいました。
大内宿のなかをぶらぶら、買い物などをしていましたら今度は甘いものを食べたくなってきました(「おいおい、いったいどれだけ喰うの?」って言われそう・・・)
ご主人が岩魚を皿に並べておられます。軍手を嵌めて、串から魚を引き抜くのは大変そう・・・・
しかし一番驚ろかされたのが、この「岩魚の刺身」でしょう。私は今まで食べたことがありませんでした。


現在の大内宿の経済の大半はは観光客めあての商売(お蕎麦屋、人形屋、乾物商、民宿など)で成り立っています。もちろん農作業もやっておられるようですが・・・・


実は私、去年郡山のお隣、三春の滝桜付近の農家の店先で同じものを購入したんですよ。ただ、形が違っていてあちらは円形でした。




福島県ではかなり有名な「芦牧温泉」を過ぎたころ、車窓に大きな湖が広がり始めました。
駅の待合室には暖かな囲炉裏が作られています。火がかっかっと熾っていて、大変暖かい・・・・囲炉裏の周りはゆったりと靴を脱いでくつろげるようになっていて、旅の途中この駅から列車に乗ろうとして数時間待つことになったとしても、楽しんで待つことが出来るように本や雑誌が置いてあります。




目黒自然教育園のユキワリイチゲは、もちろん移植したものでしょうし、とても小さくてか弱い花なので、厳重に柵で囲っています。ですからすぐ近くで撮ることは出来ないのです。

気を取り直して・・・・ここ目黒自然教育園は前の神宮の森に比べるとうっそうとした森はありません。その代わり雑木林とでも呼ぶべき背の低い木々が生い茂っており、下草もよく茂っています。



















ルリビタキは今度は近くの枝に留って、いい声で鳴き始めました。「美声」というのではないけれど、とても可愛いピッピッという鳴き方、メスを呼んでいるのでしょうか・・・・おなかを膨らませて一生懸命です。
御苑の池ではずらーっと三脚が並んでいました。「何を待っておられるのですか?」と尋ねると「池の向こうの森にオオタカがいるんだけど、滅多に出てこないんだよ~」ということです。そのほかにもカケスをちらりと見かけたのですが、絶対に近づいてはくれませんでした。
歩いて5分かからないような近くにJR原宿駅があります。近所には若者で溢れかえる竹下通りも・・・・こんな都会の喧騒のすぐそばに、オオタカやルリビタキが平和に暮らす園があるなんて、ほんとうにビックリ。JRの列車の音もたまには聞こえることもあるでしょうに・・・・でも確かに鳥を撮っているときは、一度も感じませんでした(目黒自然教育園などは近くを走る道路の音が少し気になります)。それだけ神宮の森は深い、ということなんでしょうね。





餌場から鳥たちの姿が消えました。周りのみなさんのおっしゃることには「餌場に来る鳥たちは波があって、ひと波がおわるとあとは30分くらい間が開くよ」ということでしたので、初めて来たお庭を一応周って見ました。





海岸近くの磯だまりです。このあたりの断崖はとても面白い色と形をしているなぁ・・・と思っていたら、立て札がありました。「この犬吠埼直下の海岸線は中生代・白亜紀(約1億2000万年前)に堆積した土砂で出来ています。その頃犬吠埼付近は浅い海だったようです」



改札もありません、乗客はみな並んで車掌さんから切符を買います。今回は何故か?ロシアからの団体さんばかり・・・・銚子鉄道の窮状が国際的に伝えられているのかしらん?(^_^;)


数千の申し込みが殺到し、少ない職員だけでは対応が出来ず現在ではネット販売は中止になっています。というわけでこのお煎餅、現在はここでしか買えないのですよ~
灯台から戻ってきて、今度は終点・外川まで乗ることにします。窓の外に広がるキャベツ畑・・・・




去年初めて見つけて「木の幹に不思議な印がある!」とびっくりしたヘゴの木も健在・・・・しかしこの枝が落ちた跡、なんだか人の顔みたいですねぇ。この小さな点々が木と枝を繋いだコンセントのようなものだったんだなーーーーと思うとなかなか興味深いです。



そろそろ家に帰ろうかなぁーーーと思った頃に見つけた侘助の大木。うわー私椿の中でもこれが一番好きなんですよ!このラッパ型の上品な形、蘂が奧に隠れていて清楚な姿、お茶の席にはぴったりだと思いませんか?






去年この清水公園を訪れたときには福寿草はまだ蕾でした。。。。残念に思ったことを覚えています。ちゃんと福寿草が撮れたのは2月9日、ここではなくて上野の岩崎邸のお庭でした。

今日はそういう受験生諸君にぴったりかも!おすすめの夜食?おせんべいを紹介します。
この黒胡椒せんは、一袋ざっと2・30枚くらい入っていて300円しません。(ご家庭用)進物用は少しお高いのですが、家庭用で充分ですよ~(私が頂いたのもこのタイプ)ごく普通のスーパーで売ってるおせんべいより安いかも?




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